以下は、1999年7月13日につくばビジネスネットワークの小田部が 東京理科大学 奥乃 博 教授へ取材を行い仮に情報掲載するものです。8月10日以降に再度取材を行い、 あらためて正式なメニュー項目により情報発信をする予定です。8月15日頃をお楽しみに!!
■奥乃博氏の略歴
1972年東京大学教養学部基礎科学科卒業後、同年日本電信電話公社入社、
スタンフォード大学計算科学知識システム研究所客員研究員を経て、
東京大学工学部電子工学部電子工学科知能工学客員助教授。
■専門
NTT基礎研究所勤務後、科学技術振興事業団を経て、1999年4月より東京理科大学理工学部情報科学科 教授
人工知能、音環境理解、インターネット情報収集、プログラミング言語など。
奥乃さんに会ってきた!!
7月13日、2時過ぎ小雨の降るなかつくばを出発した。東京理科大学の野田校舎までは、高速で行けば
1時間もあればいけると思っていたが案の定40分ほどで理科大には着いた。
最近つくばの広い敷地を持った研究所やオープンな筑波大学の雰囲気に慣れてしまったせいか、校門を出入りする
学生や6号館といったひびきに久しぶりに自分の学生時代が思い出され懐かしく感じた。
6号館の2階に目指す奥乃研究室はある。電子メールでのやり取りだけだったため少々緊張しながら
約束の時間にドアをノックした。
中から、低い声の返事があり、ドアが開き、
写真のように「ようこそ」といった感じの奥乃教授がでてきて安心した。
研究室は、2つに区切られていて数台のマシンとコンピュタ−関連の本がつまった本棚が並んでおり
無味乾燥な雰囲気の中、教授の人柄を思わせる存在と写真にあるシールが貼られた愛機のノートパソコン
が浮いた存在として感じられ、話がしやすかった。(ちなみに、このノートパソコンは、リンゴマークのシール
が貼ってあるがそのものではない。バットマンのシールの他に拡大しては見せられないヤバイと思われる
シールも貼ってある。)
当方の企画の趣旨を説明後、教授との会話がはじまった。
私は、教授が書いた「インターネット活用術」という本をあらかじめ読んでいたので
最初から内容には、少々びびっていたが案の定すごい人だった。
時間のたつのも忘れ、インターネットや現在の研究の話(聖徳太子コンピューター)
など様々な話を聞くことができた。
校門がしまるころ、理科大をあとにしたが、帰路の途中また一人、インターネットをきっかけに
すごい人に出会えたという感動がこみ上げてきた。
今回の話の要旨
インターネットは、すごい!!
NTTの村上健一郎氏がNTTにおけるインターネットの接続(TCP/IPによる)を行なった人で、それを実際の仕事に最初に使った人が奥乃教授だったということです。
このころのネットワーク関連の話を聞くことができました。
日本で最初にホームページが発信される以前にWWWの可能性にいち早く着目し、
外部非公開で1992年の2月にHTMLによるページ(日本国憲法や社内情報等)を作成していました。
そして、これらのページは、翌年NTT基礎研究所の高田さんたちが一部修正し発信されたとのことです。
当時のページを再現してもらえそうです。
これに関しては、「インターネット活用術」岩波科学ライブラリー44 奥乃 博著 を読むことをオススメ。
「インターネットとは、何か」から「活用方法」「ドメインの重要性」「今後の課題」まで書いてあ
り、インターネットの時代背景が超スピードで動くなか、1996年に書かれたものとは思
えないインターネットの手引書といえる本です。インターネットの有効活用には、必読です。
コンピュタ−の専門でない私にはむずかしい話でしたが、聖徳太子は数人の話を
同時に聞く耳を持っていたということにちなんで名づけられたもので、いくつかの音声を同時に認識する人工
知能の研究開発ということでした。
奥乃教授に会った翌日の夜中1時過ぎ、会社からお礼のメールと取材の件でメールを教授に
書いて送りました。すると、なんと5分ぐらいで返事のメールが届きました。こんな時間に起きていらっしゃるのか
と驚きつつそのメールにまた返事を書きました。程なくまた返事が返ってきました。
その返事のメールに関して再度メールを送ると、またまた返事のメールが届きました。
その返事で用件が済んだため、もう返事は結構ですという意味を含め「ありがとうございました。」
と締めくくったのですが、2時過ぎに「お疲れさまでした。お休みなさい」というメールが届きました。
奥乃教授もさることながら、こんなコミュニケーションができるインターネットはつくづくすごいと思います。