森田洋平 理学博士

 WWWの黎明期

 WWWの概念は1989年にTim Berners-Lee博士によって提唱され、スイス・ジュネーブ のCERN研究所でプログラムの開発が始まりました。1991年にはプログラムがほぼ 完成し、USENETというインターネット上のニュースグループで発表されました。 私が研究会でWWWのことを初めて耳にしたのはちょうどこのころです。当時は まだWWWのサーバーも高エネルギー物理の研究所に限られていて、ごく一部の 情報科学系の研究者がWWWの可能性に注目し始めていました。

 1992年9月になって、ある国際会議がフランスで開かれ、その会議に出席した私は その後、別の会議に出るためにCERN研究所に立ち寄りました。そこでTim Berners-Lee博士と出会い、CERNのカフェテリアで昼食を食べながら、WWWの ことを聞いてみました。この席上で博士から「情報はネットワーク上でみんなと 共有して、はじめて価値が生まれる。WWWはハイパーテキストのリンクで世界中の 情報をお互いに結びつけることを可能にする。KEKもぜひWWWサーバーを立ちあげて 欲しい。」と依頼されました。このときの博士の情熱にあふれた瞳を私は今でも 忘れることができません。
 博士の情熱的な説得に感化された私は昼食の後、さっそくCERNの端末室に出向き、 ネットワーク経由でKEKにログインして、はじめてのHTMLファイルを作り、 サーバーの上に置きました。それから博士にそのアドレスを電子メールで 送り、CERNのリンク集のページにKEKを加えてもらいました。(当時のメモ によれば1992年9月30日)
この時のサーバーはHTTPではなくて、FTPを使っていましたが、これが日本で 最初にWWWの網の目にリンクされたWWWサイトとなったのです。当時、CERNのTim Berners-Lee 博士のページに登録されたWWWサーバー の数は世界中に10数台ぐらいだったと記憶しています。

1993年2月に一井信吾博士(現 東大)と一緒にWWWサーバーをHTTPに 入れ替え、その後、KEKの内部で有志によるワーキンググループを作ったりして www-admin@kek.jpの一人として、今もKEKのWWWページのメンテナンスの お手伝いをしています。

 実を言えば、日本最初のWWWサイトとなったあと、しばらくの間、私は WWWのことをすっかり忘れて、情報の更新もほとんどしないでいました。 1993年頃からMosaicなどの使いやすいブラウザが開発されて、NTTの高田さんを 中心に富士通の渡辺さんやNECの坂本さんなどがWWWの日本語化にご尽力されて いたのを見て、はじめてWWWの持つ本当の可能性に気がついたのです。そういう 意味ではやはり日本のWWWの本当の立役者はNTTの高田さんだと思います。

参考URL: http://www.brl.ntt.co.jp/~takada/docs/www-intro/